人と比較をして劣っているといっても、決して恥ずることではない。
けれども、去年の自分と今年の自分とを比較して、もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである。
楽観よし悲観よし。
悲観の中にも道があり、楽観の中にも道がある。
どんなに悔いても過去は変わらない。
どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。
いま、現在に最善を尽くすことである。
人がこの世に生きていく限り、やはり何かの理想を持ちたい。
希望を持ちたい。
それも出来るだけ大きく、出来るだけ高く。
志を立てるのに、老いも若きもない。
そして志あるところ、老いも若きも道は必ず開けるのである。
アイデアを生むと言っても、口先だけでは生まれない。
これもやはり熱心であること。
寝てもさめても一事に没頭するほどの熱心さから、思いもかけぬ、よき知恵が授かる。
人には燃えることが重要だ。
燃えるためには薪が必要である。
薪は悩みである。
悩みが人を成長させる。
商売とは、感動を与えることである。
いくら熱心でもムダなことやったらいけませんで。
それがムダかどうかは、あなた自身で考えなさい。
これはムダなことかどうか、一つひとつ検討しなさい。
必ずムダなことをやっているに違いない。
誰でもそうやけど、反省する人は、きっと成功するな。
本当に正しく反省する。
そうすると次に何をすべきか、何をしたらいかんかということがきちんとわかるからな。
それで成長していくわけや、人間として。
迷う、ということは、一種の欲望からきているように思う。
ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いがでてくる。
それを捨て去れば問題はなくなる。
「それは私の責任です」ということが言い切れてこそ、責任者たりうる。
万策尽きたと思うな。
自ら断崖絶壁の淵にたて。
その時はじめて新たなる風は必ず吹く。
世間には大志を抱きながら大志に溺れて、何一つできない人がいる。
言うことは立派だが、実行が伴わない。
世の失敗者には、とかくこういう人が多い。
部下に大いに働いてもらうコツの一つは、部下が働こうとするのを、邪魔しないようにするということだ。
とにかく、考えてみることである。
工夫してみることである。
そして、やってみることである。
失敗すればやり直せばいい。師をそのまま模倣するだけでは師以上にはなれないけれど、その考えをよく吸収消化して自ら励んでいけば、師以上の人物になれるかもしれませんね。
小利口に儲けることを考えたらあきません。
世の中にぼろいことはないから、結局流した汗水の量に比例して、成功するわけですわ。
汗もかかずして、成功するということもたまにはありますけど、それはきわめて僥倖な人で、普通はない。
人の言に耳を傾けない態度は、自ら求めて心を貧困にするようなものである。
自分の仕事は、人の助けなくして、一日も進み得ないのである。
謙虚さを失った確信は、これはもう確信とはいえず、慢心になってしまいます。
いくつになってもわからないものが人生というものである。
わからない人生を、わかったようなつもりで歩むほど危険なことはない。
謙虚さを失った確信は、これはもう確信とはいえず、慢心になってしまいます。
誰も争うために商売しているわけではありません。
失敗の多くは、成功するまでにあきらめてしまうところに、原因があるように思われる。
最後の最後まで、あきらめてはいけないのである。
自分が利を得るために、不必要に自分の膝を屈することは決してすまい。
なぜなら、そうして得られた応援や協力は、また目に見えないしがらみを生み、道を暗くするからである。
失敗の原因を素直に認識し、「これは非常にいい体験だった。尊い教訓になった」というところまで心を開く人は、後日進歩し成長する人だと思います。
何事もゆきづまれば、まず、自分のものの見方を変えることである。
案外、人は無意識の中にも一つの見方に執して、他の見方のあることを忘れがちである。
叱ってくれる人を持つことは大きな幸福である。
社会生活は日々これ戦い、日々これ苦難。
その時に心が動揺するかしないかは、信念の有無で決まる。
たとえ平凡で小さなことでも、それを自分なりに深く噛みしめ味わえば大きな体験に匹敵します。
失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたい。
自分の金、自分の仕事、自分の財産。
自分のものと言えば自分のものだけれど、これもやっぱり世の中から授かったもの。
世の中からの預かり物である。
学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ我が師である。
なすべきことをなす勇気と、人の声に私心なく耳を傾ける謙虚さがあれば、知恵はこんこんと湧き出てくるものです。
すべての人を自分より偉いと思って仕事をすれば、必ずうまくいくし、とてつもなく大きな仕事ができるものだ。
悩みはあって当たり前。
それは生きている証であり、常に反省している証拠でもある。
力強さは使命感を持つところから生まれる。
自分は自分である。
何億の人間がいても自分は自分である。
そこに自分の自信があり、誇りがある。
部下の失敗はただ叱れば良いというものではない。
失敗を自覚している時には慰めも又必要です。
半分は先輩から教えてもらう、半分は部下から教えてもらう。
十のサービスを受けたら十一を返す。
その余分の一のプラスがなければ、社会は繁栄していかない。
学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ我が師である。
人生には損得を超越した一面、自分がこれと決めたものには命を賭けてでも、それに邁進するという一面があってもよいのではないだろうか。
人間は本来働きたいもの。
働くことをじゃましないことが、一番うまい人の使い方である。
逆境もよし、順境もよし。
要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである。
何としても二階に上がりたい、どうしても二階に上がろう。
この熱意がハシゴを思いつかせ、階段を作りあげる。
上がっても上がらなくてもと考えている人の頭からは、ハシゴは生まれない。
一方はこれで十分だと考えるが、もう一方はまだ足りないかもしれないと考える。
そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む。
よく人の意見を聞く、これは経営者の第一条件です。
私は学問のある他人が全部、私より良く見え、どんな話でも素直に耳を傾け、自分自身に吸収しようと努めました。
どんな賢人でも、その人ひとりの知恵には限りがあって、だから自分の知恵、才覚だけで事を運べば、考えがかたくなになる。
視野が狭くなる。
どんなにいいことを説いても、そのなすところがそれに反していたのでは、十分な説得力は持ち得ない。
無理に売るな。
客の好むものも売るな。
客のためになるものを売れ。
売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永久の客を作る。